抗争後のHIP HOP
今回は東西抗争の後のHIP HOPがどのようにして現在のHIP HOPへと移行していったのかという講義になります。
所々端折りますが、歴史的には主なポイントを抑えた内容となっています。
今回の講義で得られる知識
- 抗争後の変化
- 新たなヒットメイカー
- 中部勢の躍進
シーンの変化
東西抗争の犠牲者である
2Pac(1996年没)と
Notorious B.I.G.(1997年没)
亡き後のHIP HOPシーンはしばらくお悔みモードに突入します。
彼らへの追悼曲やリリース予定だったアルバム、未発表音源が次々にリリースされました。
1990年代中盤まではGangsta Rapの攻勢が激しかったものの、彼らが亡くなった後は「西と東は手を取り合って...」という意見が多くなった印象があります。
Bad Boyの快進撃
ビギーが所属したBad Boy Recordsでは
1997年以降CEOであるP.Diddyが本格的な音楽活動に身を投じるようになります。
ビジネスマンでもあるP.DiddyはHIP HOPの商業化を推進しました。
P.Diddyはよく名前を変えるのでP.Diddyで統一します。
1997年7月に
「Puff Daddy&The Family」名義で
アルバム「No Way Out」をリリースしスマッシュヒットしました。
収録曲のビギーの追悼曲「I’ll Be Missing You」もヒット。
そのさらに3か月後には
「MA$E/Harlem World」もヒットし、
Bad Boy Recordsは飛ぶ鳥を落とす勢いになります。
長く続いたGangsta RapやMafioso Rapの時代に終止符を打つようなキラキラしたPOP路線の楽曲を量産していきました。
P.Diddyは7億ドルの純資産があると言われています。
アーティスト、プロデューサーとしての実績もさることながらBad Boy Recordsを始め、アパレルや飲食店の経営者でもありました。
「お金があり過ぎて、女の子が寄ってきちゃって困っちゃうぜ!」
と言った具合の曲を量産していました。
しかし、この頃P.Diddyは超多忙な生活をしており、正直遊んでいる暇なんて基本的にはありませんでした。
遊び人としての自分をエンターテイメント的にちょっとオーバーに魅せていたという節があります。
ボースティングラップ(自慢)がより強調されて、いわゆるHIP HOPが軟化してしまった時代なのだよ。
確かにこの年のヒット曲を見るとキャッチーな曲が多い印象だね。
1998年はRuff Ryders勢やJay-Z、Fat Joe(ヒスパニック系)等の商業的に成功したアルバムが多くリリースされた年になりました。
Dr.Dreの復活
Dr.Dreはデスロウから脱退後、ヒット作に恵まれていませんでした。
そんな折、1999年からDr.Dreが全面的にバックアップした白人ラッパーEminemが満を持して本格的な活動を開始します。
Eminemは北部のデトロイト出身であるため北部のヒップホップシーンも当時取り上げられることがありました。
しかし、他の地域と違い独自のスタイルというものが基本的に無かった印象があります。
1999年についにDr.Dreの2ndアルバム「2001」がリリースされます。
「2001」ではDr.Dre自身が打ち立てた「G-Funk」をこのアルバムで塗り替え、新たな西海岸のヒップホップの在り方を提示しました。
より顕著なのが収録曲の「Still Dre」と「Next Episode」でした。
音数が極端に少ないのに
「Dreマジックにかかるとメチャクチャリッチな音になる。」
というサウンド主体というよりもラップで聴かせるスタイルに変わりました。
「2001」の影響で西海岸勢(XzibitやSnoop Dogg)のリリースラッシュが続きます。
しかし、この時代は売り上げ面では東海岸勢に軍配が上がりました。
2000年以降
2000年代に入るとキャッチー色は更に深化し、R&Bアーティストとのコラボが目立つようになります。
「圧倒的歌姫ビヨンセの台頭」に加え、
アシャンティやアリシア・キーズなど
HIP HOPの楽曲にシンガーがfeat.してアクセントを加える曲が増えてきた時期でした。
特に2002年以降はヒットメイカー(プロデューサー)の世代交代の時期でもあります。
Ruff Rydersの
「Swizz Beats」
Jay-Zとのコラボで頭角を現した
「Kayne West」
Murder Inc.の
「Irv Gotti」
故アリーヤをプロデュースしていた
「Timberland」
The Neptunesの
「Pharrell Williams」
などのプロデューサーがメインストリームで活躍していました。
「Cam’ron率いるディプロマッツ」や
「50Cent率いるG-Unit」等
クルー単位でのヒットも目覚ましい時期でした。
中部の活躍
2000年代に入るとNY勢の活躍の裏で
中西部よりの地域の動きも徐々に盛り上がりを見せていきました。
Nelly
2000年にミズーリ州セントルイスのラッパー「Nelly」がデビューアルバム「Country Grammar」をリリースし、
最終的に全世界1000万枚を売るモンスターアルバムになりました。
続く2002年の2ndアルバム「Nellyville」に収録の「Dilemma feat.Kelly Rowland」がスマッシュヒットし、日本でも人気を博しました。
当時、クラブ界隈では「Dilemma」を流しとけばギャル受けすると言われるほど人気曲だったのだ。
The Clipse
2002年、Gangsta Rapの進化系とも言うべき「Coke Rap」というジャンルを確立した「The Clipse」。
バージニア州バージニアビーチ出身のデュオ。
The Neptunesがプロデュースした「Grindin’」という楽曲がスマッシュヒット。
「Grindin’」ってシンプルだけどなんかハマっちゃう不思議な中毒性あるよね。
Kayne West
イリノイ州シカゴ出身のKayne Westが2004年に自らラッパーとしてデビューした1stアルバム「The College Dropout」をリリース。
収録曲の「Through The Wire」は
「Earth Wind Fire/Through The Fire」が元ネタですが、曲を早回しした状態でサンプリングするというのが非常に受けが良かった印象です。
もちろん、このサンプリング技法はKayneが確立した技法ではありませんが、一時期この曲の影響で早回しサンプリングした曲が一気に増えました。
Kayne Westは2005年にGood Music Recordsを設立。のちに「Common」を獲得。
同郷のシカゴ勢である「Twista」や「Do Or Die」と言った地元のラッパーをピックアップしました。
Bone Thugs-N-Harmony
オハイオ州クリーブランド出身の独特な歌う様なフローが特徴的なBone Thugs-N-Harmony。
このグループは1993年以来、Eazy-EのレーベルRuthless Recordsで作品をリリースしており、ヒット作を量産していました。
2007年にSwizz BeatsのレーベルFull Surface Recordsに移籍します。
7thアルバム「Strength&Loyalty」というメジャーアルバムをリリースし、
収録曲の「I Tried feat.Akon」がヒットしました。
また、「Mo Thugs Records」を設立し、地元クリーブランドのラッパー達にフォーカスしたコンピレーションアルバムを1996年から2007年まで不定期に合計5枚リリースしています。
チカーノのヒット
2003年には「Baby Bash」がユニバーサルからメジャーアルバム「The Smokin’Nephew」をリリースします。
シングルの「Suga Suga」がスマッシュヒットし、「Chicano Rap(チカーノラップ)」というメキシコ系アメリカ人のHIP HOPが認知されるようになりました。
「Suga Suga」は2015年に「Robin Schulz(ロビン・シュルツ)/Sugar」という曲でサンプリングされてるのだ。
わ!めっちゃオシャレ!
Baby Bashは元々カリフォルニア州のヴァレーホという町出身ですが、
テキサス州のヒューストンを拠点に活動する「SPM」と接近し、ヴァレーホからヒューストンに活動拠点を移していました。
「The Smokin’Nephew」リリース以降はサウスのHIP HOPとベイエリアのHyphy(ハイフィー)と呼ばれるスタイルを取り込んで
当時としては新進気鋭なサウンドを提供していたのだ。
このBaby Bashの躍進によりチカーノ達のリリースラッシュが続きますが、
本国アメリカではそれ以降チカーノブームとはならず、どちらかというとヨーロッパやアジアで受け入れられていた印象があります。
ローライダー文化が2000年代中盤頃から日本でも若者を中心に流行しました。
- ローライダーとは?
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Low Rider(ローライダー)とは車のカスタムのスタイルです。
アメ車のホイールを小さくし、極端にローダウン(日本でいうシャコタン)させ、
ハイドロ(油圧)で車高調整をし、車体のデザインを派手にしたカースタイル。
この文化を作ったのが
1950年代頃のメキシコ系アメリカ人の貧困層です。
その文化がヨーロッパやアジアに流入して音楽、ファッションと共に各国に輸出されました。
日本には1980年代にアメ車愛好家たちによって広まり、
2000年前後が最盛期と言われています。
このチカーノブームによって当時少し若い世代によってローライダー文化が盛り上がりをみせました。(日本では2010年前後まで続きました。)
まとめ
HIP HOP全体が落ち込んでしまった東西抗争。
そこに一石を投じたBad Boy Records。
新たなヒットメイカーの活躍により、HIP HOP全体が盛り上がった2000年代。
この流れ以降、サウス勢の活躍によりサウスがHIP HOPのメインストリームを牛耳ることになりますが、多様なスタイルの群雄割拠が楽しめる時代だったと思います。
90年代末期からサウスの本格的台頭までのHIP HOPの歴史の講義でした。