サウス勢の台頭
東西抗争の終焉後(1997年以降)、
HIP HOP界隈はBad Boy Recordsを筆頭にPOP路線を強化。
Dr.DreもGangsta RapやG-Funkといった自身が打ち立てたスタイルの殻をやぶり新たなHIP HOPの形を提示しました。
さらにKayne WestやNellyと言った中部勢動きも活発になってきた2000年代初頭。
2000年代中盤頃からは本格的なサウスの時代が始まります。
今回はターニングポイントとなった2000年前後から現在までの歴史の講義になります。
今回の講義で得られる知識
- 南海岸について
- サウス勢の躍進
- トラップとドリルとは
サザンヒップホップ
南海岸のHIP HOPは単純に”サウス”と言われることが多いと思いますが、英語で言えば「Southern HIP HOP」=「南部のヒップホップ」となるかと思います。
例えば「ウエスタン」とかと同じで
「West」が名詞で
「Western」が形容詞
つまり「西の」や「西部の」って意味になるのだよ。
じゃあ、「サザンオールスターズ」って「南部全員集合!」みたいな感じ?
南部のHIP HOPの発祥
そもそも南部のヒップホップの発祥はNYやLAといった大都市に少し遅れてその歴史がスタートしました。
もちろん南部出身のアーティストやプロデューサーはヒップホップ黎明期からいましたが、地域性やジャンルとして認識されたのは1980年代末期頃からとされています。
南部のラッパー達は西海岸勢と同じく「NYのヒップホップ」に憧れる一方で「NY一強のヒップホップ」に対して不満を抱えていました。
南部各地の都市もLAのゲットーと遜色無いレベルで貧困や差別、暴力が横行していました。
とくに南部は「ジム・クロウ法」の影響が強かった地域だったから余計にマイノリティ達が生きにくかったのだ。
西海岸勢のGangsta Rapの反骨精神に感化される形で南部のヒップホップがスタートします。
また、サウスも初期の時代はブーンバップというタイプのビートでした。
しかし、時代が進むにつれ、いわゆるのちのトラップビートというタイプのビートに変容していきます。
大まかではありますが、
ブーンバップのリズムは
「ズン・ズン・チャ」
トラップのリズムは
[ズーーーン、チャ]
ブーンバップのハイハットは
[チッ・チッ・チッ・チッ]
トラップのハイハットは
[チ・チ・チチ・チチ]
といった具合です。
サザンヒップホップの成長
全米2位の面積を誇るヒューストン擁するテキサス州
Jazzの発祥の地であるニューオリンズ擁するルイジアナ州
アトランタ擁するトラップの聖地ジョージア州
シカゴ擁するドリルの聖地イリノイ州
リゾート地として知られるマイアミ擁するフロリダ州
エルビス・プレスリーやアイザック・ヘイズなどを輩出してきたメンフィス擁するテネシー州
と言った文化的にも歴史的にも重要な州が集まっている南海岸は現在のヒップホップにおいて最も重要な地域となっています。
ヒューストン
Rap-A-Lot Records
南部の中心地といえばやはりテキサス州ヒューストンが真っ先に思い浮かぶと思います。
Rap-A-Lot Recordsは中古車ディーラーだった「James Prince(ジェームス・プリンス)」が新たなビジネスとして興したレーベルでした。
「Ghetto Boys(現:Geto Boys)」がメインに活動していたレーベルになります。
芽が出てきたのはGhetto Boysの1989年の2ndアルバム「Grip It!On That Other Level」でした。
1stアルバムの頃の初期メンバーをほぼ総入れ替えして2ndがリリースされたのだ。
2ndアルバム以降もメンバーの多少の入れ替わりはありますが、
基本的には「Bushwick Bill」、「Scarface」、「Willie D」の3人。
NY主導のHIP HOP業界で少ないながらもファンを獲得したグループでした。
また、ホラーコアやサイコラップといった変態的なファンが多いサブジャンルの形成に深く関わっています。
惜しくも2019年に帰らぬ人となってしまったBushwick Billですが、ホラーコアというジャンルを押し上げた人物として伝説的存在となっています。
Scarfaceは3人の中では最も評価されたラッパーであり、プロデューサーとしての活躍も好調であり、現在も活動を続けるサウスのレジェンドとして君臨しています。
Willie Dも活発では無いものの、現在も地元のアンダーグラウンドなアーティスト達との積極的なコラボを繰り返し、地元を盛り上げようとしています。
ニューオリンズ
No Limit Records
No Limit Recordsは起業家、ラッパー、プロデューサーであるMaster Pが設立したレーベルです。
Master Pは1980年代末期に活動を開始。
そして1991年に1stアルバム「Get Away Clean」をリリース。
1995年にプライオリティレコーズと配給契約を結び、自身を含め全米チャートでも人気を博しました。
とにかく多作で有名なこのレーベルは1991年~2006年までの間に100枚ものアルバムをリリースしています。
その代わり駄作が多くて、基本的にハズレ皿。
体感的にNo Limit Recordsの楽曲は90%はハズレ。
人によっては99%なのだ。
Master Pには商才があり、優れた経営者だったため当時はよく売れたレーベルでした。
No Limit RecordsがリリースしていたアルバムはGangsta Rapと同じくアメリカの車社会(長時間ドライブ)では重宝されたアルバムたちでした。
Cash Money Records
設立はNo Limit Recordsとほぼ同時期でした。
プロデューサー兼ラッパーのマニー・フレッシュが手腕を発揮し、1990年代地元ニューオリンズを中心に人気を着々と獲得していったレーベルでした。
1998年以降、Cash Money Recordsがユニバーサルとのメジャー配給契約を結ぶと「Juvenile」や「B.G.」、「Lil Wayne」といった若手ラッパーが全米チャートに食い込む健闘を見せます。
とくに1998年の「Juvenile/400Degreez」は全世界で600万枚を売るモンスターアルバムになりました。
当時、No Limit Recordsとはライバル関係としてよく話題になっていました。
しかし、No Limit Recordsは2000年代序盤くらいでほぼ自滅してしまうので実質、Cash Money Recordsの傘下Young Money Entertainmentが覇権を握ることになります。
Young Money Entertainment
2005年にLil WayneがCash Money Recordsの連結子会社である
「Young Money Entertainment」を設立します。
次代のHIP HOPスター「Drake」
最強の女性ラッパー「Nicki Minaj」
を2009年頃獲得し、Young Money Entertainmentがチャートを次々に制覇しました。
Drakeは「UKドリル」を取り入れてシーンの活性化に貢献したんだよね。
メンフィス
テネシー州、メンフィスと言えばやはり「Three6Mafia」。
Three6Mafiaは1994年頃から活動するメンフィスのグループではかなり老舗です。
2005年の8thアルバム「Most Known Unknown」を皮切りにアメリカ国内だけでなく、世界で評価を受けました。
8thアルバムには日本のクラブでも毎日かかった大ヒット曲「Stay Fly」を収録しているのだ。
また、2005年に公開された映画「Hustle&Flow(ハッスル&フロー)」のサウンドトラックに収録された「It’s Hard Out Here For A Pimp」はアカデミー賞のオリジナルソング賞を獲得。
ヒップホップ史上2番目に獲得した曲になりました。
初受賞はEminemの「Lose Yourself」。
俳優のテレンス・ハワードが「It’s Hard Out Here For A Pimp」を劇中で歌ってたのだ。
カッコよかったよね。
「ハッスル&フロー」はヒップホップ系で言えば傑作だと思うから是非観てもらいたい映画だよ!
Three6Mafiaは2005年以降メインストリームで活躍するようになり、アンダーグラウンド志向が強かったメンフィスのシーンを盛り上げました。
多彩なサブジャンル
南部はHIP HOPのサブジャンルの宝庫とも言えます。
1980年代中期にはマイアミベース。
1980年代末期にはバウンス。
1990年代初期にはホラーコア。
1990年代末期にはクランク。
2000年代中期にはトラップ。
2010年代中期にはドリル。
また、ジャンルなのか定かでは無いですが、マンブルラップやエモラップなども生まれたのが南海岸になります。(諸説あります。)
バウンスとクランク
1980年代終盤頃からルイジアナ州ニューオリンズでブームになったバウンスというサブジャンルを基にしたHIP HOPが盛んでした。
初期のニューオリンズ出身のアーティスト達は好んでこのスタイルの楽曲を制作していました。
- バウンスとは
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初期のバウンスは1986年にリリースされた「The Showboys/Drag Rap(Trigger Man)」という曲をサンプリングして作られていました。
全ての曲が同じ曲をサンプリングしていたため、ほとんどの曲が同じに聴こえるという謎のジャンルでした。
また、腰を激しく振るダンスミュージックでもありました。
ニューオリンズ発祥のバウンスはニューオリンズ以外では認知されていませんでしたが、のちにNo Limit RecordsやCash Money Recordsがバウンスを広めました。
そしてバウンスで使われていた「高速ハイハット」(通称:チキチキハイハット)はサウスの特徴になりました。
バウンスを基にクランクやトラップ、ドリルという新たなスタイルができていきます。
初期のCash Money RecordsやNo Limit Recordsは積極的にバウンスを取り入れていたのだ。
そのバウンスの要素を更に進化させたクランクというサブジャンルはラッパー兼プロデューサーの「Lil Jon」が2000年前後に開拓しました。
クランクはヒップホップのサブジャンルとして1990年代初頭には存在していました。
1998年頃からLil Jonがメインストリームでも通用する音楽として復権させました。
バウンスやマイアミベースのような、いわゆるダンスミュージックを取り込んでシャウト(叫ぶ)やクラップビート(拍手)を特徴としています。
2004年にはUsherの「Yeah」が世界中で大ヒットしました。
- クランクの派生ジャンルについて
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のちに様々なジャンルに派生しますが、
取り分け有名なものだと
西海岸のベイエリアで2010年代初頭に流行した「Hyphy(ハイフィー)」もクランクの流れを汲んでいます。
2013年DJ SnakeとLil Jonのコラボ「DJ Snake&Lil Jon/Turn Down For What」によってEDMと合体するなどヒップホップという枠に収まらないダンスミュージックに進化していきました。
昨今ブームになったニュージャージー州のニューアークから発祥した「Jersey Club(ジャージー・クラブ)」といったジャンルの形成にもクランクが深く関わっています。
「Crunk Up」=「興奮」って意味のスラングなんだよね!
このクランクを経て「Trap」や「Drill」といったサブジャンルが形成されていきます。
トラップ
トラップは1990年代にはジョージア州、アトランタで既に存在していたという説があります。
しかし、トラップハウス(密売所、密造所)というスラングのみが存在していただけであり、本格的なジャンルを形成したのは2000年代に入ってからとする意見もあります。
そうしないと逆説的に南海岸の楽曲はほぼ全てトラップになってしまうのだ。
Trapというスラングはアトランタのラッパー「T.I.」の2003年の2ndアルバム「Trap Muzik」で初めて広まりました。
トラップハウスで楽曲制作をしていたことでジャンルの名称になったと言われています。
T.I.のレーベル「Grand Hustle Records」は2013年に「Travis Scott」と契約。
2014年にミックステープ「Days Before Rodeo」が評価され、
2015年に1stアルバム「Rodeo」をリリースし、「Antidote」がスマッシュヒットしました。
2010年代になるとプロデューサーの「Lex Lugar」と「Southside」が制作チーム「808Mafia」を結成します。
ラッパーの「Gucci Mane」や「Waka Flocka Flame」といった今となってはトラップ界の大御所とも言えるラッパー達の楽曲をプロデュースしました。
「La Face Records」(T.I.やOutkastも所属していたレーベル)の社内プロデュースチーム「Organized Noize」のメンバー「Rico Wade(リコ・ウェイド)」の従弟である「Future」もトラップというジャンルを押し上げた最重要人物です。
また、2010年代中期からはプロデューサーの「Metro Boomin」も本格的な楽曲制作を開始し、台頭します。
「Drake」、「Future」、「Migos」、
「Young Thug」、「21Savage」などとヒット曲を次々と発表しました。
ドリル
ドリルはイリノイ州シカゴのサウスサイドで発祥したと言われています。
トラップによく似たジャンルであり、
通常は一聴で聞き分けるのは困難ではあるものの、熟練者になるとハイハットやスネアの刻み方でおおよそ聞き分けられるようになるようです。
また、リリックの内容がTrapとは違いGangsta Rap寄りになっています。
最も初期のアーティストは「Chief Keef」が有名です。
2012年に自宅軟禁刑中に動画視聴サイトに自身がラップパフォーマンスをしている動画をアップし、注目を集めました。
後にUKドリルやブルックリン・ドリルに派生しました。
また、惜しくも2020年に亡くなってしまったPop Smokeはブルックリン・ドリルを押し上げた人物でした。
まとめ
後半少し駆け足気味に歴史の説明をしていきましたが、現在の主流のヒップホップはやはりサウス勢が何かと話題になりやすい印象に変わりました。
現代はインターネットやスマホの普及によってNY主体の時代を経て、全国どこの地域でもヒップホップのメインストリーム級の楽曲やアーティストが出てきやすくなりました。
もしかしたら2020年代にも新たなスタイル、ジャンルが生まれるかもしれませんね!
今回は2000年前後からのサウス勢の快進撃の歴史の講義でした。